酒井一圭の父親は社長で実家が金持ち!?家族構成まとめ

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歌謡グループ「純烈」として活躍されている酒井一圭さん!

実は酒井一圭さんの父親は社長で、実家がお金持ちだった!?という噂があります!

そこで今回は、酒井一圭さんの父親や家族構成について調べてみました!

酒井一圭の父親は社長!

酒井一圭さんの父親は酒井伸一さんで日本橋梁株式会社(現在のOSJBホールディングス株式会社)の元社長さんです!

日本橋梁株式会社は東証1部の上場企業で、主に橋を作ったり高層ビルなどの鉄骨の設計などを行っています。

東京湾のアクアラインや瀬戸大橋、明石海峡大橋など、全国的に有名な橋を手掛けていることでも知られています。

そんな酒井一圭さんの父・酒井伸一さんは、小学校、中学校、高校、会社、無遅刻無欠席というとても真面目な人物。

高校時代は188cmの身長を活かし、バスケットボールで活躍していました。

大学から誘いを受けるほどの実力があったものの、金銭的な事情から大学には進学せずに高校卒業後、就職。

その就職先として選んだ会社が、日本橋梁株式会社だったのです!

入社当初は設計するところから始まり、営業で転勤などを経て社長へ就任されました。

大学に進学されていないにも関わらず日本橋梁株式会社の社長にまでのぼりつめた酒井伸一さん。

酒井一圭さんへ電話でその報告をしたそうです。

ちょうど酒井伸一さんが社長に就任した時期は、酒井一圭さんも2001年から放送の特撮ドラマ『百獣戦隊ガオレンジャー』でガオブラック役に抜擢された時だったので、互いに良い報告となったようですね。

そして、父・酒井伸一さんは日本橋梁株式会社を定年まで勤め上げ、定年後は自閉症のある酒井一圭さんの弟の面倒を見る事に専念。

しかし、2015年に心筋梗塞で亡くなってしまいます。

実は酒井一圭さんが現在活躍されている歌謡グループ「純烈」は、2018年にNHK紅白歌合戦に初出場しています。

残念ながら酒井伸一さんに紅白での勇姿を見せる事が出来ませんでした。

「『夢は紅白、親孝行』と言っておきながら、紅白の前に父は亡くなっているので、こういうことってあるなって」

スポニチ

今頃は天国で酒井一圭さんと純烈の活躍を誰よりも嬉しく思っている事でしょう!

酒井一圭さんが『百獣戦隊ガオレンジャー』で演じたガオブラック役についてはこちらから!

酒井一圭の実家は金持ち?自宅の場所を特定!?

前述の通り、酒井一圭さんの父・酒井伸一さんは日本橋梁株式会社(現在のOSJBホールディングス株式会社)の社長を務めていたことがわかっています。

酒井一圭さんは子役として芸能活動もされていた経歴があるので、一般家庭よりも裕福であったのではないかと思いますよね。

しかし実際は、子役として活動していた時期は、父・酒井伸一さんはまだサラリーマン時代だったために裕福ではなかったようです!

酒井一圭さんは両親に懇願して、1983年の7歳の時に東京宝映テレビ(現・宝映テレビプロダクション)に入団しました。

レッスンに通ったりする費用やそれに伴う交通費などは、決して安い金額ではありません。

当時劇団に入れるほどお金に余裕がなかったので、酒井一圭さんはおじいちゃんにお願いし劇団のお金を出してもらいました

おじいちゃんの応援もあり、オーディションを突破して3年後には5代目『逆転あばれはっちゃく』に抜擢!

撮影の送り迎えは父・酒井伸一さんがしてくれていたそうです。

しかし、その5年後には学業専念のために芸能界を辞めてしまいます。

ですが、高校3年生の時に「やっぱり俺は人を喜ばせるのが好きや、表現の世界へ戻ろう」と決めて芸能活動再開を目指し、芸能界へ復帰しました。

この間もずっと父・酒井伸一さんが支え続けてくていたようですね。

酒井一圭さんは大阪府吹田市で生まれましたが、3歳の時に東京都の多摩ニュータウンに転居し、中学進学と共に千葉ニュータウンに転居しました。

千葉ニュータウンは千葉県で富裕層が多く治安が良いランキングの上位にも選ばれています。

父・酒井伸一さんは酒井一圭さんが26歳の時に社長に就任しており、多摩ニュータウン時代は裕福ではなくとも、千葉ニュータウンに転居してからは役職に就くなどある程度裕福な家庭になったのではないでしょうか。

父・酒井伸一さんが亡くなっていることから、現在もその場所に実家があるのかはわかりませんが、社長に就任していたことや住まいからも実家はそれなりに裕福だったと言えますね!

酒井一圭の家族構成

酒井一圭さんの家族構成は、父・母・妹・弟の5人家族になります。

父親

父親については上記でご紹介したように、日本橋梁株式会社(現在のOSJBホールディングス株式会社)の元社長。

とても優しく酒井一圭さんをずっと支えてくれ、真面目な人柄でした。

定年してからは、自閉症のある弟の面倒に専念していたそうです。

しかし、ある日お孫さんの靴を買いに行こうと家を出たところ、心筋梗塞で亡くなってしまいます。

心の準備などなく、本当に急な出来事だったようですね。

仏のような性格で、母ともとても仲が良く、喧嘩一つしなかったそうです。

母親

一方で、母親は優しい父親とは真逆の人物だったそうです!

酒井一圭さんの母親は元々、大阪・ミナミのクラブ歌手として活動していました。

デビューするかという時に酒井一圭さんを妊娠していることが判明!

酒井一圭さんを産むか産まずに歌手としてデビューをするかという岐路に立たされたとき、歌手の夢を諦めて酒井一圭さんを産むことを決断しました!

24歳で酒井一圭さんを産み、それからはずっと家事に育児に家庭を守ってきたそうです。

そんな母親も体が大きく、漫才コンビ今いくよ・くるよの今くるよさん似だとか。

また、気性が荒く、言うことを聞かなければ手加減なく布団たたきとかで叩いてきたそうです。

そんな母親に対してヤンチャだった酒井一圭さんもやり返し、3歳から「クソババア」と呼び始め、現在も呼び方は変わっていないとのこと。

さらに母親は、当時も今もテレビのオンエアを見て褒めてくれたことはないそうで、いつも罵倒し合っているんだとか。

そう言いながらも、連絡を取り合っているところに仲の良さが感じられます。

優しい父と怖い母でバランスが取れていたのかもしれませんね。

妹と弟

酒井一圭さんには、2歳下の妹さんと5歳下の弟さんがいます。

弟さんは自閉症を抱えていたため、酒井一圭さんは子役の仕事の時は全部自分でやっていたそうです。

子役として有名になった時には、家にイタズラ電話がかかってきたり、窓ガラスを割られたりってことがありました。

自分のせいで妹や弟に手を出されたら、自分がやり返しに行かなくちゃと身構えていたこともあったとか。

とても妹弟思いのお兄ちゃんだったようですね。

酒井一圭さん自身は結婚し、子供はなんと4人いるようです!

酒井一圭さんの子供について詳しくはこちらから!

まとめ

以上、酒井一圭さんの父親や家族構成について調べてみました!

酒井一圭さんの父・酒井伸一さんは日本橋梁株式会社(現在のOSJBホールディングス株式会社)の社長を務めていたことがわかりました!

酒井一圭さんには、両親と妹・弟の5人家族です。

元々裕福な家庭で育ったわけではなかったものの、最終的にある程度裕福な家庭だったのではないでしょうか!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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