2023年3月から放送されたスーパー戦隊シリーズ『王様戦隊キングオージャー』で、30代のキャストとして抜擢され注目が集まっていた俳優の佳久創さん!
佳久創さんはラグビー選手から俳優となった異色の経歴の持ち主です!
また、佳久創さんの父親は元野球選手で、双子のお兄さんも凄い経歴の持ち主のようなのです!
そこで今回は、佳久創さんの家族構成についてまとめてご紹介したいと思います!
目次
佳久創は元ラグビー選手!
佳久創のプロフィール
名前:佳久創
出身地:愛知県名古屋市
生年月日:1990年10月28日
年齢:33歳(2024年7月現在)
身長:185cm
血液型:O型
趣味:ラグビー、筋トレ、映画鑑賞、WWE観戦
特技:ベンチプレス(120kg)、グーステップ、歌
所属事務所:アクロスエンタテインメント
佳久創さんは、小学生の頃までは父・郭源治さんと同じく野球をしていました。
ちなみに、投手だったそうです。
愛知県名古屋市にある愛知中学校・高等学校に入学後、顧問の先生からの誘いがきっかけで、中学3年生の頃からラグビーを始めます。
当時からすでに身長184cmあり、ガタイの良さと運動神経からラグビー向きだと顧問の先生は見抜いていたのかもしれませんね。
高校3年生の時には7人制ラグビーの東海選抜に選ばれ、全国準優勝を果たしました。
高校卒業後はラグビーでのスポーツ推薦で明治大学法学部に進学。
2011年8月の大学3年生の時に、7人制ラグビーの日本選抜のメンバーとして参加した『上海セブンズ』で左膝前十字靭帯を断裂する大怪我を負ってしまいます。
約1年後に復帰し、2012年9月からは15人制ラグビーの日本代表『ジュニアジャパン』の練習に参加。
大学卒業後はトヨタ自動車『ヴェルブリッツ』に入団します。
2013年~2015年の2年間在籍しましたが、大学時代の怪我の影響から、ラグビー選手を引退しました。
大学ラグビーの強豪校である明治大学にスポーツ推薦で進学したり、ラグビー選手としてチームに入団できるということは、かなりの実力保持者だったのでしょう。
(*・ω・)ノ 現在放送されているノーサイドゲームでアストロズを去った里村を演じている佳久創は中日で活躍した郭源治の息子で、実際にラグビー選手として活躍。
— 山崎(ΦωΦ)ニャー (@excitingpepee) January 4, 2020
実力はあったが怪我により引退を。#ノーサイドゲーム
怪我で引退とは、佳久創さん自身もやり切れない思いを抱えながらの引退表明だったのかもしれませんね。
引退後はトヨタ自動車で会社員を続けていた佳久創さんでしたが、2017年8月にトヨタ自動車を退社します。
ここから、本格的に佳久創さんの俳優人生がスタートしたようです!
会社員からなぜ俳優になったのか気になりますよね!
佳久創さんの詳しい経歴や俳優になったきっかけについては、こちらの記事でまとめています!
合わせてどうぞ!
佳久創の父は元野球選手!
中学3年生でラグビーを初めてから、ラグビー選手として活躍されていた佳久創さん。
その運動神経の良さは、お父さん譲りのようです!
そんな佳久創さんのお父さんは、元プロ野球選手の郭源治さんです!
郭源治のプロフィール
名前:郭源治(本名:佳久源治)
出身地:台東県台東市
生年月日:1956年10月5日
年齢:67歳(2024年7月現在)
身長:178cm
台湾原住民族のアミ族の出身で、農業を営む貧しい家庭環境で育った郭源治さんは、畑仕事のお手伝いをしながら草を巻いて作ったボールで野球を始めたそうです。
もともと運動神経抜群だったのか、小学校6年生の時に出場した台東県大会で優勝。
リトルリーグの台湾代表チーム・金龍隊のメンバーに選ばれ、打者や投手として活躍しました。
この活躍がきっかけで、中学高校、大学にも進学することができ、大学では幼児の体力づくりなどを研究していたとのことです。
大学卒業後は兵役により、台湾の陸軍に入隊。
兵役中の1981年1月に開催された台湾の社会人野球選手と日本代表との対戦で完封勝利を収め、注目を集めます。
この試合がきっかけで日本からオファーが届くようになり、1981年3月に中日ドラゴンズと仮契約を結び入団することとなりました!
初登板となった1981年8月30日の大洋戦では最速151km/hの速球を投げるなど、スライダー、シンカー、フォークボールなど多彩な変化球を起用し、投手として活躍。
日本で台湾人ピッチャーって
— 🎌🐯ひろ🐯🎌 (@kumaokun5) March 8, 2023
郭源治さんが最初かな?
球が速かったな pic.twitter.com/IxgCFgynwN
気迫溢れる投球スタイルが持ち味で、マウンドで見せるガッツポーズは『郭ダンス』の名で親しまれ、ファンを魅了する投手として人気選手でした。
郭源治さんしか分からない。😅
— としこう(趣味メイン)@✝ (@toshikou_pv) March 8, 2023
あ、でも郭源治さんは好きな投手でした。
珍プレー好プレーでも何度か出ましたけど、
ピッチャー強襲の打球をしゃがみながらパシッ!
とキャッチするシーンが当時幼い私ながらに「かっこいい!」って思って観てましたね。
郭源治のフォームは躍動感がありました🎶
— トモの呟き (@TLsjM8NSzuYhech) March 19, 2022
最後の打者を抑えて郭ダンスで締める。
プライベートでは、1982年にキャビンアテンダントをしていた現在の奥さんと出会い、1988年に結婚。
1989年9月に日本へ帰化したので、現在の本名は佳久源治となります。
その翌年に佳久創さんが誕生しました。
1996年には、良い状態のピッチングをできるうちに台湾でプレーして台湾球界に貢献したいと考え、中日を退団。
16年間の日本のプロ野球選手にピリオドを打ちます。
1996年11月には中華職業棒球聯盟所属の統一ライオンズと入団契約を結び台湾へ。
台湾球界でも高い評価を受け、42歳でシドニーオリンピックのアジア最終予選に台湾代表として参加。
シーズン終了後は監督としてチームに残ることを要請されるも、家族と一緒に暮らすために断って日本に戻って来ました。
現役引退後もコーチに就任したりと、野球一筋の人生を送っているようですね。
佳久創の双子の兄も凄かった!
偉大な父を持つ佳久創さんですが、兄弟は姉と妹がいて、さらには佳久創さん自身が双子だとのこと。
佳久創さんは弟で、双子の兄・耀さんがいます。
双子の兄・佳久創さんも元野球選手なのです!
佳久耀のプロフィール
名前:佳久耀
出身地:愛知県名古屋市
生年月日:1990年10月28日
年齢:33歳(2024年7月現在)
身長:185cm
血液型:O型
耀さんも父・郭源治さんと同じく野球を幼少期からしていました。
耀さんはそのまま野球の道へと進み、愛知県名古屋市にある南山高校、南大学へと進学。
大学卒業後は、郭源治さんも入団していた中華職業棒球大聯盟所属の統一ライオンズに練習生として入団します。
ですが、正式契約には至らなかったようです。
その後、2015年に社会人野球・矢場とんブースターズに入部します。
【29.5.29 岡崎】
— クラウン、 (@bsbl89_cdbs) June 24, 2017
矢場とんブースターズ・佳久耀投手(南山高ー南山大)
あの大投手・郭源治投手のご子息ですね。#社会人野球はいいぞ#矢場とんブースターズ pic.twitter.com/1jJLeDOjA9
2018年には、クラブチームを対象に行われている全日本クラブ野球選手権に出場するなど活躍されていましたが、同年12月に退団、野球選手としても引退されています。
双子というだけあって、とてもそっくりなお2人。
幼少期時代は父・郭源治さんも見分けがつかないほどだったとか。
大人になった現在も家族仲がとても良いようですね!
まとめ
以上、佳久創さんの家族構成についてまとめてご紹介しました!
佳久創さんの家族構成は、父・郭源治さんに母親、姉、双子の兄、妹の6人家族です!
野球選手とキャビンアテンダントという経歴を持つご両親の間に生まれた佳久創さん兄弟、2人も凄い経歴の持ち主だということがわかりました!
きっと、姉と妹の経歴も凄いのではないかと思います!
最後まで読んでいただきありがとうございました。