実力派のカメレオン俳優として活躍している山田裕貴さん。
山田裕貴さんがデビューしたきっかけはなんだったのでしょう?
この記事では、山田裕貴さんの気になる経歴をまとめました!
目次
山田裕貴の出身高校や大学はどこ?
まずは山田裕貴さんの出身高校と出身大学を見ていきましょう。
山田裕貴さんは愛知県の東邦高校に通っていました。
そして大学には通っておらず、高校卒業後はすぐに俳優をめざしてワタナベエンターテインメントカレッジに入所しています。
そんな山田裕貴さんの高校時代について詳しく調べてみました!
山田裕貴は父も通った東邦高校でバレーボール部に所属
東邦高校は山田裕貴さんの父であり、プロ野球選手だった山田和利さんの出身高校です。
東邦高校は私立高校であり、野球部は甲子園で優勝経験もある強豪校です。
幼少期から山田裕貴さんは父の山田和利さんの姿に憧れて、野球をしていました。
中学生の途中までは父の背中を追いかけてプロ野球選手を夢見ていた山田裕貴さんですが、「野球では父を超えられない」と感じて野球をやめてしまい、高校ではバレーボール部に所属しています。
当時のクラスメイトや過去のチームメイトが甲子園に行って活躍している姿を見て悔しさに涙した過去もあったと語っていました。
高校時代は恋愛をエンジョイ!山田裕貴の甘酸っぱい青春
山田裕貴さんは高校時代シャイな性格だったそうで、それまで野球に打ち込んでいたこともあり、女子とどう接していいのかわからなかったそう。
高校時代にはじめて付き合った女の子と手をつなぐまでに4ヶ月もかかってしまったという過去も明かしています。
高校時代の彼女から「誕生日プレゼントはなにがいい?」と聞かれて、山田裕貴さんは「チューがいいです」と答えて、初めてのキスを経験したのだそう。
甘酸っぱい青春の恋を感じてキュンキュンしてしまいますね!
彼女とは文化祭を一緒にまわったりと高校時代を楽しく過ごした山田裕貴さん。
大人になると恋愛をするのは大変なので高校時代にちゃんと恋愛をしておくことができてよかったとも語っていました。
また、山田裕貴さんは高校時代は「プリンス」というあだ名で呼ばれていたのだそう!
仲のいい友人からは「プリン」と呼ばれるいじられキャラだったということも明かしています。
高校時代からはじまった山田裕貴のCoCo壱番屋への愛
CoCo壱さんへの愛が溢れすぎて。
— 山田裕貴 (@00_yuki_Y) July 25, 2016
パリパリチキンカレー 量 普通 辛さ 普通
Wほうれん草 チーズ トッピング
CoCo壱来ると
矛盾しちゃう、食べたくなくなる、
この幸せな時間が終わっちゃうから。 #CoCo壱 #カレー pic.twitter.com/ANKKllaZET
ちなみに現在もCoCo壱番屋を心から愛している山田裕貴さんがCoCo壱番屋のカレーと出会ったのも高校時代のことです。
山田裕貴さんのCoCo壱番屋のカレーへの愛は、母親に家でカレーを作るのはやめるように言ったほどのものだそうですよ。
山田裕貴のデビューのきっかけは?俳優になるまでの経歴まとめ
山田裕貴さんは高校卒業後は大学に進学することなく、俳優を目指して走り出しました。
下積み時代から現在までの経歴を見ていきましょう!
父と妹の言葉で芸能の道へ
山田裕貴さんは中学時代に「プロ野球選手になる」という夢に挫折。
その後はバレーボール部に所属しています。
このとき山田裕貴さんの父である山田和利さんは、「おまえがやると決めたことをなんで最後まで続けなかったんだ」と言われたのだそうです。
この言葉が心に深く刺さった山田裕貴さんは「次にやると決めたことは、最後までやり続けよう」と決めたのだとか。
また山田裕貴さんはテレビで放送されている、プロ野球選手として打席に立つを父の姿を幼少期から見ており、「いつかテレビに出てみたい」という思いがあったそう。
将来の道を悩んでいたところに、山田裕貴さんの妹でフリーランスモデルでもある麻生(まい)さんが「このオーディションがあるから受けてみたら?」と芸能人の養成所であるワタナベエンターテインメントカレッジのオーディションを勧めてくれたのだそうです。
山田裕貴さんは、そのオーディションに見事合格。
俳優の夢に向かって歩みはじめました。
ワタナベエンターテインメントカレッジでの下積み時代
ワタナベエンターテインメントカレッジは芸能プロダクションであるワタナベエンターテイメントが経営する養成所です。
俳優や声優、歌手やタレントなどを育成しており、陳内将さんや中村昌也さんも卒業生のうちのひとりです。
ワタナベエンターテインメントカレッジに所属していた当時の山田裕貴さんは居酒屋やファストフード店でアルバイトをしながら演技を学んだり、エキストラとして作品に出演していました。
下積み時代は山田裕貴さんにとって苦しい時代だったそうです。
毎日くじけそうになっており、周りは「がんばれ」と言ってくれていましたが「たぶん無理だろう」と思われていることもわかっていたと語っています。
ですが山田裕貴さんは「次にやると決めたことは、最後までやり続けよう」と決めていたので「絶対夢半ばで地元には帰らない」と覚悟で、くじけることなく努力をし続けました。
D-BOYSスペシャルユニットオーディションは不合格だったものの……
ワタナベエンターテインメントカレッジ時代に山田裕貴さんは『D-BOYSスペシャルユニットオーディション』を受けました。
D-BOYSというのは、ワタナベエンターテインメントカレッジに所属する若手イケメン俳優グループのことです。
事前投票で1位だった山田裕貴さんですが、残念ながらこのオーディションには落ちてしまいます。
しかしこの事前投票で1位だったという功績により、山田裕貴さんは急遽作られた『D-BOYS部門』のグランプリに輝いたのです!
そして山田裕貴さんはD-BOYS、そしてD-BOYSの弟分であるD2のメンバーになり、ワタナベエンターテインメントに正式に所属することにもなり、芸能人としてデビューしたのです。
俳優デビューから実力派俳優への道のり
山田裕貴さんは2011年に『海賊戦隊ゴーカイジャー』に出演し、俳優デビューを果たしました。
2017年には大河ドラマ『おんな城主直虎』にも出演。
この2017年は山田裕貴さんにとって飛躍の年であり、14本出演した映画のうち12本が公開されています。
多くの映画に出演した役の振り幅の大きさから演技力を評価され、この頃から山田裕貴さんは「カメレオン俳優」と呼ばれるようになっていきます。
さらに2019年には主演を務めた舞台『終わりのない』で、文化庁芸術祭賞演劇部門新人賞を受賞。
2020年には『ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2020』でニューウェーブアワード(男優部門)も受賞しています。
こうして山田裕貴さんは多くの人に知られる俳優となっていったのです。
まとめ
山田裕貴さんの高校時代から今に至るまでの経緯をまとめてきました。
山田裕貴さんは努力の末に今の地位を手に入れたんですね。
「死んだときにニュースになる俳優を目指している」と語ったこともある山田裕貴さん。
これからも活躍の幅を広げていくこと間違いなしですね!